ラスト・ダンスは突然に
2020年11月1日
きっとその日は川崎フロンターレを応援する人達に取って衝撃を与える日になったのは言うまでも無い。川崎フロンターレ所属の中村憲剛がシーズンいっぱいでの引退を発表した。川崎サポーターのみに限らず多くのチームのファンが惜しむ中での引退発表。もちろん僕もその1人だ。それでも彼の目は涙ぐむことなく、真っ直ぐと、いつもと同じように純粋なサッカー少年のような目をしていたように見えた。
僕にとっての中村憲剛。それは僕にとっての川崎フロンターレそのもの、そしてサッカーそのものといっても過言でないだろう。
事実、どんなときも等々力のド真ん中で輝く背番号14に憧れ、何度も唸らされてきた。彼のような綺麗な弧を描くフリーキックを蹴れるようにと何度も何度も練習したのも今でも覚えてる。
友達と一緒にサッカーを初めて、サッカーが好きだからではなく友達と会うために練習に行くような子どもだった僕を今のようなサッカー好きにさせたのは他でもない、中村憲剛だ。
ピッチでは1番歳上のはずなのに、キャプテンとして誰よりも重いものを背負ってるはずなのに、誰よりも楽しそうにボールを蹴る姿を見て、「サッカーって真剣にやったらこんなに楽しいんだ!」と思った。少しでも彼のようになりたいと思い、部活が終わったあとも公園でボールを蹴っていた頃もあった。
僕がフロンターレを見るようになってからはほぼ常に彼の左腕に巻かれていたキャプテンマーク。いつしか僕にとって中村憲剛=川崎フロンターレとなっていた。
MVPを受賞したあの日、僕はまるで自分の事のように喜んでいたし、タイトルに見放され続けてきた彼がようやく認められたような気がしてとても誇らしかった。
初めてのタイトルを取ったあの日。1番に浮かんだのは「中村憲剛とタイトルを取れてよかった」ということ。タイトルを添えてあげられなかった過去の戦士たちを考えると、何よりもこれが1番だった。
それからも毎年のようにスケールアップして、常に「新しい中村憲剛」を、「史上最高の中村憲剛」を見せ続けてくれた。
いつだって等々力にいけば彼の極上のプレーを見ることができる。それ自体が日常であり、日々の楽しみの1つであった。
そしてまだ記憶に新しいであろう、前十字靭帯断裂の大怪我。言い換えるならば、"日常"が失われた瞬間であった。もちろんその時に頭には年齢のことがよぎったが、僕の知ってる中村憲剛はこんなことで終わる人間じゃないだろうと、きっと更にスケールアップして戻ってくるだろうと信じていた。
そして8月29日の清水エスパルス戦。ベンチには中村憲剛の名前。それは"日常"が少し取り戻された瞬間だった。この御時世なのでサポーターの歌声の代わりにスタジアムに流れる彼のチャント。そして10ヶ月ぶりに聞いたスタジアムDJによる「ナカムラ ケンゴ」のアナウンス。そして自ら復帰を祝うゴール。そのひとつひとつに感動し、涙し、声には出せなかったが心の中で何度も叫んだ。
それからはプレータイムを伸ばしつつも、信じていた通り、更にプレイヤーとして成長した姿を見せてくれた。彼がピッチに立つと僕の視線は自然と背番号14を追っていたのが分かった。
そして10月31日のFC東京との試合では自らの誕生日を祝う決勝点を決めた。この試合でピッチを支配していたのは間違いなく中村憲剛だ。
その姿を見ながら、きっとこれからも、いつまでもずっとずっと彼のプレーを見ていられるんだろうなと、勝手に思いこんでいた。
そんな翌日に彼から発せられた「引退」の文字
正直に言って、僕はその言葉を1番聞きたくなかった。いや、それを聞く心の準備ができていなかった。それは前日のプレーぶりを見たからこそなのかはもうわからない。
その後に続いた彼の言葉はハッキリ言って全く覚えていない。その事実を受け入れることに必死だったのだろう。
ビデオと切り替わる一瞬の間に、全てが降ってきたような気がした。
そこからは今年1番というぐらい泣いただろう。
先程も述べたように僕にとって彼は川崎フロンターレそのものといっていいぐらいの存在だった。いや、無意識の間にそれくらいの存在になっていたのだ。
等々力に足を運ぶ頻度が増えて川崎フロンターレにのめり込んでいった頃から今もなお川崎でプレーをする唯一の選手だった。もちろんそんな彼がチームを去るのは寂しい。
彼が楽しそうにボールを蹴る姿を見るのが楽しみだった。そんな姿をシーズンが終わるともう見れないのは悲しいし、どうしようも無い気持ちだった。
色んな感情が混ざりながら、何度も泣いた。
「等々力には神様がいる」
これは彼が何かある度に言っていた印象がある。僕から言わせてもらえば等々力の主はあなただ。
前日の試合での素晴らしいプレー。正しく等々力の主人だった。
彼は引退を発表する10数時間前ですら僕たちのヒーローでありスターだった。彼の醜い姿を僕たちが見る前に、彼はスターとして僕たちの前を去ることを選んだ。
もしかしたらこれはこれで良かったのかもしれない。僕だって彼がボロボロになりながらピッチで戦う姿は見たくなかった。
なにより彼自身が決めたことだ。所詮サポーターの1人でしかない僕に引き止めることなどできない。
もしかしたら今でもまだ強がってるところはあるかもしれないけれど、会見から少し時間が経ち、自分なりに気持ちを整理できたような気がする。
ただ、あの瞬間に彼のサッカー選手としての時間が終わったわけではない。リーグと天皇杯の結果次第ではあと2ヶ月の間彼のプレーを見れる猶予がある。
その幸せを噛み締めて、また1つでも多くの歓喜の瞬間をもたらしてくれることを、彼のラスト・ダンスを僕は今から楽しみにしようと思う。